翻訳者は語る 最所篤子さん

連載回数
第10回
saisyosan

 一昨年、日本で公開された映画『世界一キライなあなたに』。世界八百万部超の原作『ミー・ビフォア・ユー きみと選んだ明日』に続き、同著者の最新作『ワン・プラス・ワン』の翻訳を手がけた最所篤子さんは、『クレアモントホテル』『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』など、自ら映画原作を持ち込み、日本に紹介してきました。極貧家族と逮捕寸前のIT長者の珍道中を描くユニークな恋愛小説『ワン・プラス・ワン』も映画化が進行中。本作の魅力を伺いました。

〈『ワン・プラス・ワン』のメッセージ〉

 主人公のジェスは二十七歳のシングルマザーで、実の娘タンジーと、別居中の夫と前妻との間の息子ニッキーの二人を育てています。彼らがワケありなIT企業経営者のエドと偶然出会い、タンジーを数学競技会に出場させるため、スコットランドの会場を目指してエドの車で英国縦断のドタバタ旅をする姿を描いているわけですが、いわゆる「親二人子二人」ではない、血縁を超えた家族を描いている点に惹かれました。

 と同時に、最初は肩肘張って何もかもひとりで頑張っていたジェスが、やむを得ずエドに頼るうちに見知らぬ人の親切を受け入れるようになり、社会を信用していく姿がいいな、と。「人は失敗してもいいし誰かに頼ってもいい。全てが自己責任じゃない」という著者の温かいメッセージが心に刺さりました。

〈キャラクターの魅力〉

 ジェスは貧困や夫との関係、子供たちはいじめ、エドは自身の犯罪容疑や女性問題、親との関係……と、旅をする四人はそれぞれ問題を抱えています。読者も自分を重ねて、どこか共感できる部分があるのではないでしょうか。タンジーとニッキーが大人顔負けの鋭い目線を持っているのに対して、ジェスとエドの大人二人には子供の頃の何かを引きずっているような幼さが見えます。自分自身と引き比べて、憐れむような愛おしいような気持ちになりました。人は大人になっても内面は子供の頃と地続きで、そんな心細い子供たちが、外側は大きくなってもお互いを補い合って生きていくんだな、と改めて感じたりもしましたね。

 それから、彼らと一緒に旅するタンジーの愛犬ノーマン。臭いしヨダレはすごいし、ちっとも可愛くない(笑)。変に擬人化されず、リアルに描かれているのがいい。犬好きの方にもおすすめです。

〈台詞の訳し方〉

 台詞を訳すのがもともと好きで、今回は人間関係の変化を台詞でどう表現するかに力を注ぎました。最初はエドに対して「ですます調」だったジェスの台詞をどの辺りからフランクにしていくかとか、エドの呼び方が「ニコルズさん」から「エド」に変わるのはいつ頃かなど、そのグラデーションを工夫するのが楽しかったですね。それから、十六歳のニッキーの言葉遣いは、ネットスラングを交えてその年齢らしさを出したり、数学天才少女のタンジーはちょっと変わったしゃべり方をするんだろうなと想像して、音読しながら訳しました。

企画を自ら探し出す

〈翻訳書持ち込みの秘訣?〉

 それは企業秘密でもありますが(笑)。参考にするのは、まずは海外の読者サイト。『ミー・ビフォア・ユー』は、イギリスのサイトで見つけました。評価がとても高かったのですが、幸運にも日本での出版は決まっていなかったんです。賞の候補作や、映画化が決まっている作品もチェックしますね。『クレアモントホテル』は、海外では映画が公開されていたのですが日本では未公開で、出版社に原作の企画を持ちかけたところ、出版に合わせて映画公開も決まりました。

〈海外文学への目覚め〉

 英語教師だった母に幼い頃から英語を学ばされました(笑)。ジャパンタイムズで映画評論をしていた大伯母や、その夫で『荒地』の詩人、鮎川信夫の影響もあります。荒地の関連で田村隆一、加島祥造訳のアガサ・クリスティが揃っていて、小学生の頃から名訳を読み漁っていました。

 翻訳者として喜びを感じるのは、読者に「読んで良かった」「面白かった」と言ってもらえることです。『ミー・ビフォア・ユー』は、ウォヌくんというK‐POPアイドルが読んでファンに薦めてくれたことで裾野が広がりました。普段あまり本を読まないという日本の女性たちが、SNSで繋がって感動の声をたくさん届けてくれました。「売らないで手元に置いておきます」というのを見たときは、泣きましたね(笑)。

(構成/皆川裕子)

最所篤子(さいしょ・あつこ)

英リーズ大学大学院修士課程(応用翻訳学)修了。訳書にN・ホーンビィ『ア・ロング・ウェイ・ダウン』など。

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