今月のイチオシ本 【ノンフィクション】 東 えりか

『人間をお休みしてヤギになってみた結果』
トーマス・トウェイツ 訳/村井理子
新潮文庫

 「生まれ変わったら何になりたい?」と考えたことはあるだろうか。鳥になって自由に空を飛びたい、イルカのようにすいすい大海原を泳ぎたい。でも所詮それは現世では叶わぬ夢だ。

  だが本書の著者、トーマス・トウェイツは違った。ちゃんとした仕事はなく、姪の犬の面倒を見ているトーマスの悩みは深い。だったら人間を休んで動物になり「悩む」ということから解放されたい。そんなプロジェクトを企画すると、何と英国の公益信託団体からの資金提供を受けることに成功する。イギリスってなんと太っ腹な国なのだろう。

  最初は象になりたいと希望していたが、難しいことがわかり、専門家からのアドバイスでヤギになることにした。象になるより実現性が高そうだと思うのは気の迷いに違いない。だが彼は大まじめだ。

  最初に向かったのはバターカップと呼ばれるヤギのための保護施設。ヤギ行動学のエキスパートからヤギのイロハを習うのだが、ヤギもストレスを感じるということに衝撃を受ける。だが人のように「これから一体何が起きるのだろう」と未来に対する不安を感じることはない。それならばヤギと同じ脳になってしまえばいい。彼は言語神経科学の研究者を訪れ経頭蓋磁気刺激(TMS)というプロセスを使い、ヤギ世界を体験するという実験をおこなったのだ。脳科学の最先端の技術を使ってヤギの気分になれるのか。

  その後、獣医科専門大学でヤギの解剖に立ち会い、骨格に基づく義肢の製作に取り掛かる。最後は噛んだ草を溜めておく人工胃を身体に装着した。試行錯誤の上、トーマスはヤギになり、スイスの山頂にあるヤギ農場に放たれた。本物のヤギの反応はいかに。

  ここから先は写真の力なしには説明できないので、ぜひ本書を手に取ってほしい。人間の好奇心は留まるところを知らないが、この実験がいつか人類のために役に立つと信じたい。ちなみにこの実験、「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられるノーベル賞のパロディ、「イグノーベル賞」を2016年に受賞した。

(「STORY BOX」2018年1月号掲載)

(文/東 えりか)
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