国会議員基礎テスト
第九回

「わかった、じゃあ先方に話を通すからな」 

 週末に実家に帰り、その足で黒部優太郎の事務所へ向かった。事務所には、黒部優太郎本人は不在で、ちょっと残念だった。応対に出たのは、立花正徳という六十がらみの筆頭秘書。黒部靖衛の代から三代の国会議員に仕えているベテランだという。 

 筆記はなく、簡単な面接だけだった。ほどなく内定をもらい、真菜は飛び上がらんばかりに喜んだ。公設第二秘書として、雇い入れるという。第二といえば、立花の次ということではないか。秘書経験などまったくないのに、本当にいいのかと真菜は尋ねた。

「もちろん。第二秘書のポストに空きがあったから、募集をかけたんだから」 

 二月から出られるかと立花に訊かれたので、おそらく大丈夫と答えた。

「それでは、そっちの会社の退社日は、一月三十日にしてくれ」

「三十一日じゃなくて、三十日ですか?」

「そうだ」 

 退職は簡単だった。リストラを断行している企業ゆえ、自分から手を挙げ、辞めてくれる社員は神のような扱いを受けた。退社日を三十日にして欲しいという無理な要請も、呑んでくれた。 

 有給を消化するため、一月の中旬にはもう会社に行く必要がなくなった。アパートを解約し、荷物をまとめて実家に戻り、数日のんびり過ごした後、翌月の一日に、黒部優太郎代議士事務所に初出勤した。

「やあ、あなたが新しい秘書さんだね。黒部優太郎です。よろしく」 

 初めて間近で見る黒部優太郎は、写真で見るよりさらにカッコよかった。ポ~ッと頬が火照るのを感じ、真菜はあわてて視線を逸らした。 

 優太郎は事務所に五分と留まらず、出て行った。永田町に帰るのだ。国会の会期中は、X市に戻るのは週末だけということを、初めて知った。 

 黒塗りのSUVに乗る広い背中を見送った後、真菜は改めて事務所を見まわした。 

 鼻からずり落ちそうな老眼鏡をかけた立花は、しきりに誰かと電話でやりとりをしている。その向こうには、コピーを取っている太ったおばさん。優太郎が使ったコーヒーカップを、ノロノロと片している、腰の曲がったおばあちゃん。襟の伸び切ったポロシャツを着て、電卓をはじいている、ハゲ頭のおじさん……。 

 優太郎のいない事務所は、まるで緑を失った老木のようなた佇まいだった。

「待たせたね。杉本くん」 

 立花に呼ばれた。

「さて。後々もめることは避けたいんで、はっきりいっておくけどね。きみ、昨日から出社したことにしておくよ」 

 昨日といえば、一月最後の日である。なぜそんなことをするのかと、真菜は小首をかしげた。

「公設秘書は、その月に一日でも在職していれば、一ヶ月分の給与が公費から出るんだよ。だけど、きみは一月には仕事をしていない。そこで相談なんだが、きみの一月分の給与をまるまる寄付してはくれないかね」

「はい?」 

 立花が何をいっているのか、真菜には理解できなかった。

「公費としてきみに下りる一月の給与を、ぼくらにくれと言ってるんだよ」 

 頭の中にじんわりと、白い空間が広がっていった。予期しないショックに見舞われると、こういう症状が出る。 

 カラクリはわかったが、これは犯罪行為ではないのか?

「心配しないでいい。みんなやってることだ。きみが寄付するといってくれたら、一切問題はないよ。実際、一月はうちの事務所で働いていないわけだから、給与不払いにはならんだろう」 

 政治にはカネとスキャンダルがつきものといわれているが、これが真菜が最初に受けた洗礼だった。 

 しかし、このやり方はまだ良心的なほうだと、後々になって真菜は知ることになる。 

 もっとひどいのになると、勤務実態のない者に名義だけ借り、秘書給与を数年にわたり国からピンハネしている議員もいたりする。 

 国会議員には、手当を含めれば三千万を超える年収があるのに、それでもまだ満足できないのか。 

 実は、国会議員としてやっていくには結構なコストがかかる。真菜は立花の元で仕事をしているうちに、そのことを徐々に学んだ。 

 まず、国会議員は選挙区に、最低ひとつの事務所を持たなければならない。事務所の家賃や維持管理費が、大きく議員の懐にのしかかる。 

 さらに、公設秘書三名で選挙区をカバーするのは困難なので、私設秘書を雇わなければならない。大きな事務所になると、公設秘書の倍くらいの私設秘書が必要になる。彼らの給与は、国会議員の自己負担だ。 

 太ったおばさんや、腰の曲がったおばあちゃん、ハゲ頭のおじさんなどは全員私設秘書だった。 

 これ以外にも、議員をバックアップしてくれる各種団体の会合に関わる会費。後援会員の冠婚葬祭費。党費。議員連盟への会費。政治資金パーティーのパーティー券購入。地方議員への支払い等々、枚挙にいとまがない。

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