国会議員基礎テスト
第七回

 満席になったところで部会長の渥美正治が、橋本に顔を向け「黒部議員はどこか」と質問した。渥美は優太郎が所属する派閥の長でもある。ちなみに昭和最後の妖怪・藤田は、派閥の名誉会長だ。

「はっ。申し訳ございません。黒部はどうしても抜けられない用事があるため、政策秘書のわたくし橋本が、本日は代理で出席させていただきました」 

 会議室がどよめきだした。

「どうしても抜けられない用事とは、どういう用事かね」

「東京の後援会の会長から、緊急に会いたいと連絡がございまして」 

 こういう質問をされた場合に備え、考えていた嘘をついた。

「後援会対応なら、橋本さん、あなたが専門だろう。なにせ、優太郎くんが議員になる以前からの付き合いなんだから。会長にはあなたが会って、部会には議員本人が出席するべきじゃないの?」 

 渥美が懐疑的な眼差しを橋本に向けた。

「おっしゃる通りですが、会長から直々に指名がございまして。重要案件だから、直接議員に話がしたいと」 

 まったくのデタラメだったので、橋本は顔面が引きつらないよう注意しながら発言した。 

 後援会では優太郎は「ボン」と呼ばれ、親しまれているが、誰もマトモに相手などしていない。

「本当かねえ」 

 渥美が含み笑いをすると、居並ぶ議員たちからも失笑が漏れる。

「大方また、どこかの雑誌の取材でも受けているんじゃないの? 前回も、ホラなんだっけ? メンズなんとかって月刊誌で、ランニングシャツ姿の写真をさらしてたじゃない」 

 優太郎が勝手に受けた取材のことをいっているのだ。政治家のプライベートを特集した記事で、ジムでのトレーニング風景を撮られていた。女性や若者の有権者には好評だったようだが、古参議員は皆、眉をひそめた。

「女性受けを狙うのはかまわんが、筋肉だけ鍛えて、脳みそをなおざりにするのは、如何なものかと思うよ」 

 失笑が爆笑に変わった。橋本は、目を固くつむり、何度も頷いた。 

 国会の常任委員会に対応しているのが、専門部会である。部会で研鑽を重ね、本番の委員会で激論を交わしながら、議員は専門分野のプロとして育っていく。 

 彼らはいわゆる「族議員」と呼ばれ、癒着の温床のように見られる場合もあるが、労働や環境、農林など各分野のエキスパートなので、国家にとって必要な存在であることは間違いない。 

 優太郎は、農林水産委員会に属しているが、こんな体たらくでは何年経ってもエキスパートにはなれないだろう。

「部会欠席は、確かこれで三度目だな。この間の委員会でも、また差し替えを頼んだっていうじゃないか。困るよねえこれじゃ、橋本さん。真面目にやる気があるのかね」 

 渥美にギロリとにらまれ、思わず橋本は「申し訳ございません」と頭を垂れた。とはいえ、心の中では「おれは、あいつのおふくろじゃねえ!」と叫んでいた。これではまるで、学校をサボりまくる息子の代わりに、教師に叱られている母親ではないか。

「まあまあ、渥美さん。優太郎くんは、有権者、特に女性の人気が高いし、党のイメージアップや集票にも貢献してくれてるわけですから」 

 別の議員が口を挟んだ。

「まあ、そういう使い道はあるな。というより、そういう使い道しかないというべきか」 

 会議室がまた爆笑の渦につつまれた。

「橋本さんも、大変だねー。優太郎くんのお目付け役みたいなものだものねえ」 

 渥美が憐れみの眼差しを橋本に向けた。

「議員秘書なんて、とんでもない仕事だろう。官僚辞めたこと、後悔してない?」 

 橋本の中で張りつめていたものが、プツリと切れた。それはおれの前で、いってはいけない台詞だ……。 

 言い返してやろうと、顔を上げた時、わざとらしい咳払いの音が聞こえた。藤田だった。

「そろそろ本題に入らないかね。黒部議員の話はもういいだろう」 

 渥美の肩がぶるっと震えた。橋本に黒部優吾の政策秘書の仕事を斡旋したのが、藤田であることを思い出したのだろう。 

 渥美が言葉を探しているところに、昼食が運ばれて来た。自由民権党本部食堂の人気メニュー、スタミナカレーだ。

「とりあえず、いただきましょう。よかったら、秘書のみなさんもどうかね。どうせ余ってるんだから、遠慮することはないよ」 

 渥美が食事前に決まって口にする台詞だった。 

 ところがその場にいた秘書は、誰一人として相伴にあずかろうとはしなかった。国会議員と秘書が、同じテーブルにならんで食事をするなどとんでもないという考えが、古い体質の自由民権党には残っている。 

 だから議員の付き添いで来た秘書のみならず、代理できた秘書も笑顔で「食事は済ませてきましたから」と答えるのが定番になっていた。部会長の誘いを真に受けて、議員と一緒に食事などしたら、陰で何を言われるか知れたものではない。 

 橋本は配膳をしている給仕に、サッと手を挙げた。 

 給仕は頷き、橋本のテーブルにもカレーを運んで来た。一同がチラチラと盗み見する中、橋本は堂々とカレーをほお張り始めた。 

 部会で議員と一緒に食事をするのは、橋本にとって初めての経験だった。 

 彼はひとつの大きな決断をしたのだ。

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