国会議員基礎テスト
第五回

 他の議員の政策秘書と交流を深めているうちに、橋本は徐々に彼らの実態を知るようになった。

 一言でいえば、能力不足だ。

 政策秘書になるためには、資格試験に合格するコースの他に、同等資格や、経験を考慮して認定されるコースがある。

 経験とは何かといえば、公設秘書として十年以上在職か、五年以上でかつ、政党職員の職務や、私設秘書の職務を合算した期間が十年以上のことをいう。

 とはいえ、いくら十年のキャリアがあろうが、その間に資金集めのようなことばかりしていれば、政策の専門家とはいい難い。憲法の条文も読んだことのないような、運転手上がりの秘書が、十年経てば政策秘書を名乗れるのだから、何をか言わんやである。

 聞いたところによると、試験に合格して政策秘書になるのは全体の一割にも満たず、残りの有資格者は、雑用の長期経験者ばかりだった。これでは制度自体が形骸化し、うまく機能しないのは当然ではないか。優吾が意味深な含み笑いをした理由が、やっとわかった。

 そもそもなぜ、優吾は橋本を政策秘書として雇い入れたのか。

 答えは簡単だ。どんな議員だって、法律に詳しい人間をスタッフとしてキープしておきたい。官僚に物を訊くのはしゃくにさわる。いいように操られるのは、もっとしゃくにさわる。こちらの側に法律家がいれば、いちいち彼らに頼る必要はない。彼らの鼻を明かし、なめられないようにすることだってできる。

 橋本は、優吾にとって法務アドバイザーのようなものだった。

 しかし、アドバイザー業務など四六時中あるわけではない。暇な時間、遊んでいるわけにもいかず、資金集めや、パーティー券売りなど、他の秘書がやるような業務にも駆り出される。

 辞めようかと悩んだが、官僚から転職して三ヶ月も経っていなかった。

 それに橋本には家族があった。入省六年目に見合い結婚をし、四歳の娘がいる。

 官僚を辞める際には、妻から猛反発を食らったが、同じように政治に関わる仕事だからといいくるめ、何とか納得してもらったのだ。また辞めたいなどと漏らせば、離婚を切り出されかねない。

 しかたなく、一般秘書としての日常業務もこなした。

 資金集めなどで、後援会を渡り歩いているうちに、様々な人間と知り合うようになった。中小企業のオヤジや農家など、今まで橋本がまったく付き合いのなかった連中だ。彼らが「先生、先生」と優吾を慕っているのを見て、何だか宗教のようだと思った。

 しかし彼ら後援会員は、盲目的な信者ではなかった。お布施(献金)を出す代わりに、当然見返りを要求してくる。

 その見返りというのが、尋常ではない。陳情と彼らは思っているようだが、正規の陳情からはかなり逸脱しているものばかりだった。

 公共事業の斡旋、各種許認可への口添え、金融の仲介、大学の裏口入学の斡旋、交通違反のモミ消し、不法滞在の外国人ホステスの在留資格取得、等々。官僚時代にはついぞ経験したことのない、政治の泥臭い現場がそこにあった。

 脱法行為に当たるような、これらの見返り要求に、当初橋本は応えることをためらった。しかし、そんなことでは政治家の秘書は務まらない。橋本は、決断した。毒を食らわば、皿までだ。

 優吾の指示を受けながら、橋本は有権者たちの、とんでもない陳情に真摯に対応しはじめた。元々頭の回転が速く、フットワークは軽い。

 しばらく経つと、橋本は優吾と同じくらい、頼りにされる存在になっていた。橋本先生などと呼ばれ、わざわざ優吾を通さずとも、様々な案件を直接処理できるまでになった。

 まわりの人間からこれほど信頼されるのは、官僚時代にはなかったことだ。有権者とは無知で煩悩のかたまりのような連中ばかりだが、ちょっとばかり手助けしてやるだけで、まるで犬のようになびいてくる。

 糖尿病が悪化し、徐々に元気がなくなっていった優吾に代わり、実質後援会を牛耳るようになると、橋本はある妄想を抱くようになった。

 優吾が政界を引退したら、地盤を引き継ぐということだ。秘書を長年やっているうちに、いつしか政治家という仕事に興味を持つようになった。

 だが、事はそんな単純に進まないことは、わかっていた。優吾には、優太郎という一人息子がいる。大手総合商社のニューヨーク支店に勤務する、国際派ビジネスマン。地盤を引き継ぐには、まずまずのプロフィールである。

 ほどなく健康上の理由から、衆議院の解散総選挙を契機に、優吾が引退を表明。思っていた通り、地盤は息子の優太郎に譲られることになった。

 全盛期に比べ、随分やせ衰えてしまった優吾から「橋本くん、息子をよろしく頼む」と手を握られた時、橋本はよどみなく「はい」と答えていた。

 やっかみがあったことは否定できない。とはいえ、拾ってもらった恩がある。先輩秘書がいるにも拘わらず、「きみを信用しているから、好きなようにやってみろ」と様々な案件を一任してくれた。

 官僚時代の陰湿な上司と違い、橋本の能力を正当に評価してくれる良きボスであった。優吾の頼みとあらば、無下に断るわけにはいかない。

 ところが、優吾の息子、優太郎という男は、実直な父親とちがい、とんでもないアホだった。

 黒部優太郎に仕えて、八ヶ月。

 早くも橋本は「こいつだけはもう限界だ」と匙を投げたくなっていた。

次記事
前記事