国会議員基礎テスト
第十八回

 問六 遊説について実例を交え説明せよ

 山口県Y市の市会議員補欠選挙に、自由民権党公認の若手が出馬する。ついては優太郎に応援演説に来て欲しいと要請があった。

 立候補するのは、優太郎より一歳若い三十二歳の、石井進という新人。高校を卒業して、いったんは寿司職人になったが、二年後に大学の法学部に入り直し、弁護士になったという変わり種だ。

 橋本がこの依頼を党本部から受けた時、あるひとつの計画が頭をよぎった。

 優太郎は、応援演説が嫌いではない。国会の中では下っ端でも、表に出れば黄色い声が飛ぶ、スターなのだ。ひとたび街頭演説に立てば、人々は足を止め、優太郎に注目する。五分と経たないうちに、周囲は黒山の人だかりとなる。

 応援演説の話を切り出すと、思っていた通り、優太郎はふたつ返事でOKした。

「Y市か。あそこはフグがうまいんだよねー」などと、既に旅行気分である。

「ではさっそく、航空機とホテルの手配をします。それから、応援演説の草稿も準備しておきますね」

「いつも悪いね、橋本さん」

「いいえ、これが仕事ですから」

 優太郎が選挙に立候補した当初から、演説の原稿は橋本が起こしている。内容を深く理解しているかどうかはともかく、優太郎の演説は人々を魅了した。そろそろ自分自身で演説原稿を書いてもいいころなのに、怠惰な優太郎は、すべて橋本任せだった。

 それはまあ構わない。応援演説の原稿は書いてやるよ。だが、今回はそれだけじゃないんだ……。  

 橋本は、口許が自然に緩んでくるのを、抑えることができなかった。

 現地へは橋本も同行した。一泊二日の旅程だ。優太郎は飛行機の中で、橋本が用意した原稿にしきりに目を通していた。あと十分で着陸するというのに、まるで試験ギリギリになって勉強を始める中学生のようだと、橋本は苦笑いした。

 空港から石井の事務所に直行し、挨拶を済ませると、選挙カーに乗った。

 駅前広場で石井が演説を始めても、人々は足を止めなかった。地味な風貌の小男である石井には、存在感がまるでない。

 優太郎がマイクを握り「Y市のみなさん、こんにちは」とよく通る声で挨拶すると、たちまち人々が振り向いた。

「自由民権党の公認候補、石井進くんの、応援に参りました、黒部優太郎です」

 たちまち、人々が集まり始めた。優太郎の一言一句を聞き漏らさないよう、耳を澄ませている。

「ご存じのように、日本はなかなかデフレから脱却できません──」

 演説内容は、石井のものに比べ、格段に劣ることに気づいている聴衆はほとんどいないようだ。元々手を抜いて書いたいい加減な原稿を、優太郎はさらに端折って諳んじている。それでもパフォーマンスだけはいいので、人々は魅了される。

 こいつは役者をやった方が似合うと、橋本は鼻を鳴らした。

 それにしても、この聴衆はいったい何だ?

 こんな演説をありがたがって聴いているなんて、バカ丸出しじゃないか。日本人は、政治的にはまだまだ未熟だな。

 橋本は大っぴらには口に出せないようなことをつぶやきながら、口をパカンと開けて、優太郎に見入っている聴衆をあざ笑った。

「──この混迷する地域経済を立て直せるのは、ここにいる石井進くんしかおりません。皆様、石井進、石井進をどうかよろしく、お願いします」

 演説が終了すると、盛大な拍手に包まれた。優太郎にサインやツーショットを求める人々が殺到し、現地スタッフと橋本が必死になって交通整理をした。

 可哀相な石井には、握手を求める者すらいなかった。これではどちらが主役か、わかったものではない。

 街頭演説の次に予定されているのは、NPO法人が主催する討論会だった。このNPOはブラック企業の撲滅と、若者の雇用問題、貧困問題などを解決するために活動をしている。

 石井自身、若いころ苦労して弁護士になっただけあって、経済的に恵まれない若者の救済には積極的だ。同世代の優太郎を交えて、大いに議論しようと要請があり、橋本が本人の代わりに応諾した。

「議員も若者の貧困を憂えています。きっと実のある話し合いとなるでしょう」

 心の中でほくそ笑みながら、神妙に答えた。何不自由なく育った優太郎に、貧困問題などまともに語れるはずがない。日本では、今や六人に一人が貧困層であることすら、知らないだろう。

 優太郎には、応援演説の後には、若者たちとの懇親会が予定されていると伝えた。本人は、フグ刺しでも食べながら、サッカーやラグビーの話をする集まり程度のイメージでいるだろう。

 五百人が収容できる、会場の市民ホールは、人いきれで溢れていた。みんな、石井というより優太郎を見に来たのだ。

「えっ? こんな広いところでやるの?」

 優太郎は驚いていたが、嫌がっている様子はなかった。壇上には、長机が設えられ、既にパネラーたちが五名ほど鎮座している。NPOのメンバーの他、若手の学者やジャーナリストたちだった。

「じゃあ、わたしはここで」

 舞台の袖で優太郎と別れた。優太郎は、石井を従え、堂々とした足取りで、中央の席に歩いていった。

「それでは、黒部代議士、石井弁護士をゲストにお招きいたしまして『若者の雇用と貧困問題を考える会』を開催したいと思います」

 NPO代表の司会で、討論会が幕を切った。

 議論は最初から、白熱した展開を見せた。招かれたパネラーたちは、みなそれなりの論客だ。

「そもそも、今の学生は金がないんです。親の貧困率が高くなってきていますから、大学の授業料は自分で稼ぐしかない。ところが、私立大学の学費は値上がりを続けている。こんなバカ高い学費を要求してくるのは、日本だけじゃないですか? どう思います? 先生」

「そうですね。それは困った問題だ……」

 初めて優太郎が発言した。しかし、後が続かない。石井がチラリと優太郎を見やり、言葉を継いだ。

「確かに日本の学費は高いです。親の経済状況に関係なく、若者には平等に教育を受ける権利が与えられなければなりません。そのためにわたしは、教育制度の改革が不可欠だと思っております。具体的には──」

 石井が持論を展開し始めた。滑舌がいいほうではなく、声も小さいが、耳を澄ませて聴けば、なかなか画期的なことをいっているのがわかる。 石井が話し終えると、会場から大きな拍手が沸き起こった。

「しかし、改革には時間がかかります。取りあえず、この窮状を何とかしなければならないと思います。そのためには、どのような施策が必要なのか? 黒部先生、何かご意見はございますか」

 ほとんど発言しない優太郎に、司会者が水を向けた。

「そうですね。えー、奨学金の活用などをもっと積極的に……」

「その奨学金が、問題なんです!」

 すぐさまパネラーの一人が遮った。

「日本学生支援機構が出している、第二種奨学金。これって、有利子負債ですよね。つまり卒業して就職したら、利息付きで返済していかなければならない借金です。この金額が、何百万にも膨らんだ学生が、たくさんいます。新入社員にはなかなか返していくのが難しい金額です。特に、都内で一人暮らしの人間には」

「まあ、だとすれば、働きながら勉強するしかありませんが。塾なんかで、もっと積極的に学生バイトを雇うようにして……」

「その塾が、今やブラックバイト化しているんです。塾だけじゃない。主に労働集約型産業は、学生を食い物にしています。長時間労働を強いて、残業代すらろくに払っていません。試験があるから休みたいと申し出ても、首を横に振る経営者がいるんです。これでは、何のためにバイトをしているのか、わからないでしょう」

「………」

 優太郎の思い付きの発言は、ことごとく論駁された。

 結局三時間ほどの討論会で、長机のど真ん中に座った優太郎が、一番精彩に欠けていた。優太郎の活躍を期待した聴衆は、さぞかしがっかりしたことだろう。

 これが、優太郎の化けの皮がはがれ始めた、きっかけだったかもしれない。

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