第十一回
ところが、このように優しい言葉をかけてもらう女性は、何も真菜だけではないことが、徐々に明らかになってきた。
事務所には頻繁に若い女性から電話がかかってくる。優太郎はどこかと尋ねるので、外出中ですと答えると、乱暴に電話を切る。
そしてある日突然、派手な身なりの二十代後半と思しき女性が、事務所をたずねてきた。
「黒部議員はいませんか」
女は切羽詰まった様子で、真菜に問い質した。
「外出中ですが、どちら様ですか」
「待たせていただきたいんですけど」
ボリュームたっぷりのマスカラをつけた女は、返事も待たずに事務所を横切り、応接スペースのソファーに腰をおろした。
困惑した顔で辺りを見まわしたが、秘書たちは突然の闖入者などどこ吹く風で、各々の仕事をしている。デスクで書きものをしていた立花が、僅かに顔を上げ、小さく肩をすくめた。放っておけということらしい。
席に戻った途端、電話が鳴った。受話器を取ると、聞き覚えのある女性の声で「黒部さん、いませんか」と問われた。
驚いて応接スペースを見やった。女は細身のタバコを吸い、鼻から煙を吐いていた。頻繁に電話をよこすのは、この女ではなかったのだ。
「もうしわけございません。黒部はただいま外出中です」
タバコをふかしていた女が、こちらを振り向いた。
「どこにいるんですか」
「後援会の会合に出向いております」
「本当ですか? 本当に後援会なんですかあ」
電話の奥で女が、グズグズと鼻を鳴らしはじめた。
「あの……どういったご用件でしょう」
同じく優太郎を捜している女の射るような視線を感じながら、真菜は尋ねた。
「携帯、繋がらないんです。いつも圏外なんです……」
「………」
女はその後も何かしゃべっていたが、ほとんど支離滅裂で内容は理解できなかった。付き合ってはいられないので、連絡先を訊くと、いきなりガチャンと電話は切れた。
「なによ、この女……」
とつぶやき、受話器を置いた途端、また電話が鳴った。
「やあ、真菜ちゃん。どうだい? 元気でやってる?」
優太郎だった。
最近ファーストネームで呼ばれはじめ、舞い上がっていたところだが、おそらく若い女性に対してなら、誰でもこのような呼び方をするのだろう。
「はい。元気です。あの……」
真菜は受話器を握りしめ、声をひそめた。
「お客さんが来ていますが。何時ごろお帰りですか」
「お客さん? 誰かな」
「若い女性です」
「どの若い女性?」
これだけではピンと来ないらしい。女の名前は訊いていなかったが、おそらく優太郎はこの女には会いたくないはずだ。
真菜はさらに声をひそめ、女の容姿を説明した。受話器の奥では「う~ん」とうなっている声が聞こえるばかりで、らちが明かない。
気が付くと、女が近くに立って、じっとこちらを見下ろしていたので、心臓が止まりそうになった。
「そっ、それでは、またご連絡します」
真菜は反射的に受話器を置いた。
「黒部さんは、まだ帰って来ないんですか?」
椅子にかけた真菜のバッグが細かく振動した。スマホが鳴っている。「失礼します」と断り、画面を確認した。優太郎からだった。
女が鼻を鳴らして応接スペースに戻る。真菜は通話アイコンをタップした。
「電話切れちゃったけど、どうしたの?」
「もうこれ以上、電話ではしゃべれません」
真菜が女の動向を確認しながら、殺した声で抗議した。
「そっ? んじゃ、出てくれば。近くまで来ているから」
真菜は「ちょっと買い物に行ってきます」と、コートに袖を通した。女の焦がすような視線を横顔に感じながら、事務所を後にした。
通りに出るなり、優太郎に電話をかけた。