▽▷△超短編!大どんでん返し▼▶︎▲ 日明 恩「愛妻へのプレゼント」

第5話
日明 恩
「愛妻へのプレゼント」

 勘弁してよ、と近づいて来る男を見て私は思った。

 店員たる者、お客様は神様であり、見かけで判断してはならない。けれどここはデパートの化粧品ショップ。それも有名なフランスの高級ブランドだ。薄汚れた身なりにべたついた髪で、視線も定まっていないおじさんがふらふらと近づいて来たとなったら、こう思っても許して欲しい。

 おじさんがカウンターの前で立ち止まった。作り笑顔で「何かお探しですか?」と訊ねると、何も答えずにただもじもじしている。もしかして私と話したいのか? なおさら勘弁してよ、だ。するとおじさんが「妻にプレゼントをしたくて」と、小声で言った。

「初めてなんです。せっかくだし、高級な物を贈りたくて」

 初めて妻に化粧品を贈る年老いた夫。それまでのネガティブな印象は吹っ飛んだ。不安そうな顔でおじさんが私を見つめる。その表情に胸がきゅんとすらする。

「お手伝いさせていただきます」

 勘違いの罪悪感も加わって、誠心誠意の笑顔で私は答えた。

「口紅などいかがでしょうか? こちらは人気のお色です」

「いいですね。でもあの、妻の顔色が悪くて。明るくなるように、必要な一式を全て選んで下さい」

 一式全て! 店員としてのテンションもだが、おじさんへの好感度がさらに跳ね上がる。本人不在で化粧品を選ぶのは至難の業だ。スマートフォンに奥様の写真があるか訊ねたが、残念ながらなかった。なのでおじさんの記憶を頼りに化粧下地、ファンデーション、フェイスパウダー、アイブロウ、チーク、アイシャドウ、口紅を選び出した。三万円を超える代金を伝えると、すぐさまおじさんは了承した。私は嬉々としてレジの処理を始める。

「こんな素敵な旦那様に、私も出会えるとよろしいのですが」

 お世辞ではなく本心から言う。

「いえ、そんな。妻とは喧嘩ばかりで。先日、ようやく定年を迎えて、これでやっとゆっくり出来ると思ったのに、再就職しろと毎日うるさくて。自分はフィットネスクラブだ、習い事だ、女友達とランチだと遊んでばかりいるのに」

 雲行きが怪しくなってきた。けれど、よく聞く話だ。

「言い争いになると私が謝るまでいつまでも責め立てるんです。学生時代芝居をしていたこともあって、芝居がかった大仰な態度で。謝ってもそれで終わりにはならない。何度でも持ち出すんですよ。あ、プレゼント用の包装ってお願いできますか? リボンは着けられます? 赤があれば」

 やっぱり夫婦なんてそんなものよね、と思いつつ、「はい、ございます。プレゼント用にラッピングさせていただきますね」と笑顔で答える。

「一時間ほど前に宅配便が届いたんです。妻から私にでした。以前からずっと私が欲しがっていた鉄道模型が入っていて。『本当にお疲れ様でした。ありがとう』というメッセージも着いていました。なんだかんだ言っても、やっぱり妻は私を思ってくれていたんです」

 おじさんの顔は愛おしげな表情に満ちていた。再び胸がきゅんとする。

「実は昨日の夜、あまりにしつこく言われて、つい突き飛ばしてしまったんです。倒れた妻を見て怖くなって家を飛び出しました。ファミレスで一晩過ごして今朝帰宅したら、妻はまだ同じ場所に同じ形で寝ていて」

 バーコードを読み取る手が止まった。

「お礼を言おうと妻のところに行きました。でも声を掛けても揺さぶっても起きないんです。仕方なく起きるのを待っていたのですが、なかなか起きなくて。そのとき思いついたんです。私も妻に贈り物をしようと。でも何がよいのかが。誕生日や記念日に、好みではない物や不必要な物を買って叱られたことがあったので、何が欲しいか訊ねたんです。でもやっぱり何も答えてくれなくて。目を閉じたままの妻の顔を見ているうちに気づいたんです。顔色がすごく悪いなって。そこで閃いたんです。化粧品だって。せっかくなら、今まで妻が買ったことのない高級なブランドの物にしようと」

 期待と不安の入り交じった顔のおじさんが私を見つめて訊ねる。

「これなら、よろこんでくれますよね?」

 

日明 恩(たちもり・めぐみ)

神奈川県生まれ。日本女子大学卒業。二〇〇二年、『それでも、警官は微笑う』で第二五回メフィスト賞を受賞し、デビュー。著書に『そして、警官は奔る』『鎮火報 Fire's Out』『埋み火 Fire's Out』『ギフト』『ロード&ゴー』『優しい水』などがある。