ロスねこ日記 ◈ 北大路公子

第4回 母の心(後篇)

○十月二十五日

 いよいよわれ松の公園デビューの日である。暗く寂しいシンク下から、陽のよく当たるリビングへと引っ越しをした。説明書には「五~六センチ」とあったので、「だいたいこんなもんだろ」と判断しての決行だったが、あとで測ってみると三センチほどしかなかった。私は目測が苦手なのだ。

 そのせいもあってか、全体の雰囲気としてはまだカイワレというよりはクローバーっぽい。上から見ると、小ぶりのクローバー畑である。日光を浴びることで、ここからどんどん緑が濃くなり、栄養価も高くなるという。だったら最初から日向に置けばどうかと思うが、やはり一度暗がりでおのれを見つめるのが種としての宿命であり、また成功への道なのだろう。秀松も結果としてはそうだった。北向きの丁稚部屋で不遇をかこっていた彼は、母屋で母や叔父から甘やかされて育った放蕩息子の安造より、はるかに立派な大人に成長した。店を盛り立て、周りの信頼を得るようになったのである。

 ところで暗がりといえば「きせのさこ」である。まいたけの「きせのさこ」。現在は玄関外で遮光ネットを掛けられ、土の中で静かに眠っている。部屋の中にいて常に視界に入るけめたけや、公園デビューを果たしたわれ松と違って、かなり存在感が薄い。「土の表面が乾かないように」「日に何度かじょうろで水をやる」ことが必要なのだが、この季節はそもそもあまり土が乾かず、水浸しにするのもどうかと躊躇しているうちに忘れてしまう。

 さらには、じょうろの先っぽの蓮口を失くしてしまい、シャワーではなく、水道の蛇口のようにダイレクトに水がかかる仕組みになっているのも心が痛む。水をやるたび、勢い余って土が掘れそうになるのだ。ホームセンターに蓮口だけを買いにいったものの、「だいたいこんなもんだろ」と購入したが結局、口径がまったく合わなかった。よくぞこれだけ合わないものを「こんなもんだろ」と思えたな、といっそ感心するくらい合わなかった。例によって目測を誤ったのである。私も一度暗がりでおのれを見つめ直し、目測が苦手な自分を徹底的に知ることからはじめるべきかもしれない。

 そんなわけで、きせのさことは未だ完全には心を通わせられていない。残念なことであり、気がかりでもある。きせのさこの命名由来である横綱稀勢の里も、怪我がたたって九月場所は全休してしまった。最初の怪我の時にあれだけ「休め」と(テレビに向かって)言ったのに、頑固で寡黙な彼は私の忠告を(当然)聞かずに強行出場、結果として優勝を手にしたものの、怪我を悪化させることとなってしまった。きせのさこも稀勢の里も、真面目で健気ないい男である。なんとか踏ん張って笑顔を見せてほしい。稀勢の里は遠くから応援することしかできないが、せめてきせのさこだけでも私の手で立派に育てなければいけないのだ。

 

○十月二十六日

 われ松は順調に成長している。精一杯背伸びして太陽の方を向こうとするので、日に何度か容器を回して真っ直ぐ育つように調整してあげなければならない。

 誘惑や落とし穴の多い社会である。安易な方に流れ、取り返しのつかないカイワレに育ってしまっては大変だ。取り返しのつかないカイワレ。それが何かはよくわからないが、たとえば食用とは思えないほど苦い味になるとかだ。もちろん苦味に関しては、我々にはゴーヤ先輩がいる。先輩を見ていると、たとえ苦くなったとしても悲観することはないとは思うが、しかし、せっかくかいわれブロッコリーとして生まれたからには、かいわれブロッコリーとしての道を真っ直ぐ歩んでもらいたいと思うのも、親としての正直な気持ちなのだ。ましてやわれ松は六つ子の長男である。これからまだ五人のスプラウトたちが後に続くのだ。ここで躓いては、ほかのスプラウトたちにも示しがつかず、なにより私が親としての自信を失ってしまう。

 水を与え、陽を浴びさせ、そっと見守りつつも進むべき方向をそれとなく指し示す。母の責任もなかなか重大である。

 

○十月二十七日

「男は二十五歳の誕生日の朝飯後まで背が伸びる」と昔、母がよく言っていた。本当だろうか。われ松はそんな言葉を思い出させるほど、すくすくと成長を続けている。観察していると、朝と夜では明らかに身長が違う。それほど成長が早い。何かスポーツでもやっているのだろうか。

 と同時に葉の緑が濃く強くなり、青年らしいしっかりとした顔つきになってきた。幼かった秀松は長じて志垣太郎となった。彼は精悍な中に辛気臭さを漂わせる絶妙な表情で「青年秀松」を演じきるが、われ松も今までとはまた別の表情を見せるようになったのだ。

 ただ心配なのは、太陽への甚だしい傾倒である。ちょっと目を離すと陽の差す方へ全身を預けるようにして傾いていく。そのたびに向きを変えてやるのだが、何度でも同じことを繰り返す。

 その執拗な態度に若干の不安を覚える。何か太陽神を崇める宗教のようなものに染まってしまったのではないだろうか。

 

rosuneko
太陽神を崇める青年期のわれ松

 

○十月二十八日

 そろそろ旅立ちの時が近づいているのかもしれない。小さかったわれ松を守り育ててくれた容器は、今の彼には既に小さすぎる。かつてのクローバー畑は今では密林と化し、そこから飛び出たわれ松の長い茎が自分の重みを支えきれずに床に向かって垂れている。

 われ松は、もう十分に育ち切った。別の言い方をするなら「食べ頃」である。 太陽神への信仰は相変わらずだが、それも間もなく終わりを迎えるだろう。

 

○十月三十日

 旅立ちを意識してから二日、今日を別れの日と決めた。

 思えば長いようで短い十日間であった。最後の水やりをしながら、しみじみと眺めると、われ松との日々が胸に蘇る。

 赤玉小粒はら薬のようだった赤ちゃんの頃。水に濡れた途端に訪れた反抗期。ころころと転がる素直だった性格は、あの瞬間、融通の利かない頑固者となった。そこからの見事な立ち直り。シンク下での下積みの日々。母としての胸の痛み。中村玉緒への共感。太陽神への傾倒。

 われ松も私も、さまざまなことを乗り越えてきたのだと改めて思う。が、それはそれとして、容器からわれ松を取り出す。軽く水洗いをした後、まな板の上へ。ざっくりと根を切り、豚しゃぶサラダに混ぜて食べた。

 けめたけのような衝撃的な美味しさはなかったが、ゴーヤ先輩のようになることはなく、ちゃんとカイワレの味がした。よかったと思う。

(つづく)

(「STORY BOX」2018年4月号掲載)