ロスねこ日記 ◈ 北大路公子

第3回 種です(後篇)
rosu
六つ子といえば「松」である

 自らを鼓舞しつつ、種蒔きを開始する。が、ここで早々と試練が訪れた。子供の選択である。容器は一つしかなく、となると全員を一度に育てるのは難しいため、誰を最初に育てるか選ばなければならないのだ。

 我が子を選別する苦悩を感じながら、しばし迷った末、まずは、かいわれブロッコリーを蒔くことにする。なぜかいわれブロッコリーかというと、一番食べやすそうだから。猫だ我が子だと言っておきながら、「一番食べやすそうだから」。羆が人を襲う時は女子供を最初に狙う、という話を思い出す野性味あふれる選別基準である。

 同梱されていた専用容器を取り出す。プラスチック製で、八角形。上が緑、下が透明の二段重ね構造になっており、上段の底には小さな穴がたくさん穿たれている。そこに「重ならないように」種を敷き詰めよ、というのが説明書の最初の指令であった。

 指令に従い、黒っぽいような茶色っぽいような小さな丸い種を、直接ザーッと注ぎ入れる。ころころ転がる種を見ながら、これで色が赤ければ、昔、置き薬に入っていた「赤玉小粒はら薬」みたいだなと思う。あの薬は確か一回の服用量が三十粒とかいう大盤振る舞い的なもので、「お腹が痛い時にこんなに飲めるか!」とツッコむところまでが服薬だったが、まあ今はどうでもいい。

 その三十粒よりはかなり多くの種を投入し、指で均す。どれくらいが適量なのかがまったくわからない。説明書もペロンとしたコピー用紙一枚で、八角形の容器に目鼻と手足を付け、頭にはモヒカンチックなかいわれを真っ直ぐ生やした手描きのキャラクターが、にっこり笑ってガッツポーズをしているイラストが目立つばかりで、種の敷き詰め具合などには一切触れていない。

 触れていないのは適当でいいのだろうと、あまり深く考えずに蒔いた。なにしろ「はじめて栽培セット(栽培容器付き)」「自由研究に最適」と謳われているのである。そんなにややこしいことは要求しないはずだ。明記されていること、つまりは「重ならない」ことだけに気をつければいいのだろう。

 次に下段に水を張る。これに関しては「種子がわずかに水に触れる程度」との明確な指示があった。つまり上段と下段をセットした時に、種を置いた上段の底がぎりぎり水に浸る程度の水量である。多すぎると種が浮いてしまうし、少ないと発芽に必要な水分が得られない。なかなか繊細な作業である。

 何度かの調整の後、ようやく水の量が決まった。上段を重ねてみると、ほぼ完璧である。種がまんべんなく、とまではいかずとも、それなりに均等に蒔かれ、水も種に触るか触らないくらいのひたひたの位置である。初めてにしては上出来であろう。

 この後は「暗所で発芽させる」のだが、その前に改めて全体を眺める。見た目はとてもシンプルであり、こんな赤玉はら薬(じゃないけど)から、命が芽生えてくるのが不思議でたまらない。もちろん、すべては種自身の生きる力によるものであり、私にできることは限られている。せいぜい愛情を持って大切に世話をすることくらいだ。そのために名前をつけようと思う。名前をつけることで、親子の情愛がより深くなるからだ。

 われ松。

 K嬢とも相談して、そう決めた。かいわれブロッコリーである誇りと、六つ子の一員である自覚を胸に育ってほしいとの親心である。

「早く大きくなるんだぞ」

 心の中で語りかけながら、そっと「暗所」へと運ぶ。この場合の暗所とは、台所のシンクの下である。シンク下の物入れ部分で、サラダ油やフライパンなどと一緒に数日を過ごすのだ。我が家の台所事情を文字どおり知ることで、六つ子の長男としての成長を期待する意味もある。というのは嘘だが、とにかくシンクの下へ引っ越しである。種と水の完璧なバランスを崩さぬよう、そろりと持ち上げたその時、

「ごっ!」

 なんと容器を思い切りテーブルの角にぶつけてしまったではないか。まずい、と思う間もなく容器は傾き、ちゃぽんという不吉な音と同時に、苦労して均等に敷き詰めた種が水にさらわれた。一気に偏る種。

「やだちょっと! われ松! われ松! しっかりして!」

 慌てて元どおりにしようとするが、一度濡れてしまった種というのは実に始末に負えない。固まりあったり、指にくっついたりと、まったく思うようにはいかないのだ。早くも反抗期なのだろうか。乾いていた時のわれ松とはまるで別人のようなその姿に、最初は動揺していた私もついにはキレ、

「もう勝手にしなさい! そうやって好きなだけ重なったり偏ったりすればいい! 発芽しづらくても知りません! 強いものだけが伸びてくれればいい! それが野生の掟です! お母ちゃんはもう知りません!」

 そう言ってシンクの下にわれ松を置き、扉をぱたんと閉めたのであった。獅子は我が子を千尋の谷から突き落とすという。私も初日から子育ての難しさに直面しつつ、こうしてスプラウトとの長い一日を終えたのである。

(つづく)

 

(「STORY BOX」2018年3月号掲載)