鈴木マキコさん『おめでたい女』

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夫が死んだからといって、
ペンを緩めたら
それは物書きじゃないでしょう。
夫もそんなことは望まないはずです。

結婚小説があるなら、離婚小説があってもいい。鈴木マキコさんの新刊『おめでたい女』は、二十五年間を共に過ごした夫との愛憎と別れを、妻の視点から描いた圧巻の私小説です。かつての夫がつけた"夏石鈴子"のペンネームを捨て、離婚の経緯とその後の葛藤を書かずにいられなかった理由とは? 本作を「一生に一度しか書けない原稿」と言い切る鈴木マキコさんに、執筆の背景についてお話を伺いました。

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──『おめでたい女』は鈴木さんご自身の離婚体験を描いた私小説とお聞きしました。離婚というモチーフを真正面から描こうと思われたきっかけは何だったのでしょう。

鈴木……もしかすると私の不勉強かもしれませんが、これまでに離婚生活小説というものを読んだことがなかったからです。よく著名人の略歴に「○年離婚」って書かれますね。二文字で「離婚」ってあるけど、離婚は決して漢字二文字で済まされません。そこに至るまでにはいろんな感情があるし、離婚後も生活はずっと続いてくわけです。

──愛が消えた、じゃあ離婚だ。そう単純に他人になれるわけではない、と。

鈴木……愛情がなくなっても、離婚が成立していないがゆえに、相手と一緒に暮らし続ける。そういう、しょうもない時間もあるんです。それを自分で味わってみて、「物書きとしてネタになる。これを仕留めなければ物書きではない」と思った。それに、離婚した人間が何かものを言う場所自体がないのです。だから、作家が離婚の体験を小説にするのは実にいい機会だと思いました。

──今の日本ではおよそ三組に一組の夫婦が離婚していますが、なぜ「離婚した人がものを言える場が少ない」のだと思われますか。

鈴木……話が苦しいから。おとぎの国に生きているような人は「どうして好きな人同士で結婚したのに離婚するんですか?」なんて言いますけど、『おめでたい女』はひとつの現実のサンプルです。結婚生活という言葉があるのなら、離婚生活だって成立します。

結婚は、蓋を開けてみなければわからない

──『おめでたい女』は時系列順に四話の物語で構成されています。主人公は二人の兄妹の母であり、会社員でもある「わたし」。二十五年間一緒にいた「夫」は名前こそ出されていませんが、映画プロデューサー、監督として名を馳せた荒戸源次郎さんですね。業界では鬼才として高く評価されながらも、破天荒な人物で妻を振り回していた事実が淡々と綴られています。外からは到底見えない、家庭の内情も赤裸々にさらけ出していますね。

鈴木……到底予想できないようなあらゆることを味わい、転げまわりながら、ついていった。そんな結婚生活でした。人生って蓋を開けてみなきゃわからないことがいっぱいある。それを実感しました。この小説で描いた結婚の本当の重みは、まだ人生が始まっていない年若い方にはわからないかもしれませんが。

──読み進めるほどに、人間は多面体なのだ、と強く実感させられます。溢れる才能、優しさ、魅力、お金へのだらしなさ、狡さ。あらゆる要素が、一人の人間の中に混在している。だからこそ、近くにいる人間は苦しい。ただ、読み心地は意外なほどさらりとしています。全編を「ですます調」で統一した意図は?

鈴木……嫌なことをガーガー言うとそれは"芸"になりません。「私はこんなひどい目に遭ったんです」とむき出しにしても、誰も聞いてくれない。じゃあどうやればよそ様に聞いていただけるか、と考えました。一話目の表題作は書き上げるまで二年以上かかってるんです。なぜなら、ずっとずっと書き直していたから。最初はお金を持っていかれた、ひどいことをされた、という怒りで心の余裕が全然ありませんでした。でもあるときふと、「自分を笑うことはできないか」と思えたの。

──「この男は刺す。今すぐ成敗しないといけない」。そんな殺意に近い激情に駆られながらも、すぐには離婚できずにいる。そんなご自身を「おめでたい女」である、と?

鈴木……そう。このとんまな女。徹底的に使われちゃった女。ずっと信じてくっついてっちゃった女。そういう自分を笑おうと思って、もう一回原稿を書き直した。それが一話目の「おめでたい女」です。よその人から言われるよりも自分で言っちゃったほうが勝ちでしょ。

──「おめでたい」と謳いながらも、自虐の湿っぽさ、重苦しさが感じられないのは、鈴木さんの中で一度、突き抜けているからなんですね。まさに文の芸、文芸のなせる業だと感じます。

鈴木……それに考えてみれば自分が好き好んで選んだ相手であり、お金を遣われて騙されちゃって、ということはひどい行いだとは思うけれども、私が決めたことだから言い訳はしません。困ったけれども、私が働いていたから生活は成り立っていたし。でも私は、いちいち相手を疑いながら、夫と向き合うのがもう嫌になったんです。嘘をつかれ、ひどいことをされて、憎しみでギトギトになりながらも家族を続ける。そういうのは清々しくない。私はなるべく清々しく生きたいなと思っています。だから、夫が生活費と学費用に貯めていたお金を遣いこんだ時点で、「もうやめよう」と簡単に決めることができました。

 

マキコさん帯
取材時の着物は形見の大島紬。 帯は蜘蛛の巣柄。
「巣にかかっているのは、夫。 目が似てる」と鈴木さん。

全部が全部、本当の私小説です

──一方で、夫婦のあいだに子どもがいる離婚は、家族の分裂という事態も引き起こします。中学生の長女・宝子さんが母のもとに残るも、高校生の長男・昇太さんは父と暮らすことを決断する。母である「わたし」はそれを止めない。

鈴木……母親としては「こんな男についていくなんて、うちの息子は大丈夫か」っていう心配はやっぱりありましたよ。でも一番大事なことは、本人の気が済むこと。その本人が「父と暮らす」と選んだのなら、もう仕方がない。とにかくうちの家族は夫も息子も娘も、誰も私の言うことを聞きません。それは諦めなきゃいけないですね。本人の好きなようにさせないとね。

──二話目「ガスコンロとわたし」の終盤、「家族は一度離れると、いいのかもしれないです。離れてその後に残った気持ちが、本当の気持ちです」という一節に、自分自身の家族を重ね合わせて頷く読者も多いのでは。

鈴木……この「ガスコンロとわたし」の原稿を担当者に渡す日の午後に、夫が死んじゃったの。担当者が「この原稿、もらっていいんですか」と戸惑ってましたけど、夫が死んだからといって、ペンを緩めたらそれは物書きじゃないでしょう。少なくとも、私はそういう物書きではありません。夫もそんなことは望まないはずです。

──書き始めた時点で、離婚小説としての終着点は見えていたのでしょうか。

鈴木……いいえ、私は夫が死ぬとは一度も思っていなかった。どういう話になるのかは、自分でも全然わからないまま書いていました。

──離婚調停を軸に展開する三話目「亀とわたし」は、法的に夫婦の縁が切れる直前の、複雑な胸中も綴られます。恋していた頃の気持ち、淋しさ、それでも離婚届が受理されたことで得られた自由と喜び。全員がこのまま前へと進んでいけるのかと思いきや、最終話「チュールとわたし」では夫の死という予想外の展開を迎えます。愛して、憎んで、別れた相手と死別するということ。その悲しみと葛藤が余すところなく描かれています。

鈴木……もうね、全部本当のことなんです。全部。だから私、ストーリーを作る必要が全然なかったんですよ。こんな原稿は一生に一度しか書けない。でもだからこそ、死に物狂いで書き切りました。

──体が弱っていく中でも「あいつを呼ぶな、絶対呼ぶなよ」と言い続けた夫。その言葉を真に受けてしまった周囲の若者たち。皮肉な行き違いが、残酷な別れを招いてしまう。

鈴木……二年間、全然連絡がなかったのに、息子から突然メールで「父さん一時間くらいで死ぬかもしんない」って言われて。病室で最後に見たあの人は、顔も姿形も全然別人で、死んでもいないけどもう生きてもいない、という感じで。よくもまあこんなに変わるまで私のことを呼ばなかったね、って。あのときは本当に気が狂いそうになりました。もしかしたらあれからずっと狂いっぱなしなのかもしれません。

胸を突かれた、生田斗真さんからのはがき

──本心では他の誰よりも、妻だった「わたし」に会いたかったはずなのに。行間から立ち上る悲しみは、魂の叫びのようにも感じ取れます。

鈴木……最後の最後まで、素直に「あいつを呼んでくれ」と言えずに、「呼ぶな」と言い続けて、結局私に会えないまま死んでしまった。かわいそうだけど、バチが当たったのね。あの人は、私に取り返しのつかないことをしたのだから。だからね、あんまり他人にひどいことしないほうがいいと思いますよ。バチって本当に当たるんだから。彼にとっては、最期に私と娘に会えなかったっていうことが一番のバチだったはずです。かわいそうといえば、もうひとつ。最近ようやく、夫が最後まで使っていた鞄を開けたんですよ。あまりに生々しくて、一年過ぎてもずっと開けられなかったんですけど。そしたら中に桐の箱が入っていたんです。恐る恐る開けたら、次の作品のためのメモ書きがいっぱい出てきて、そのメモの一番下に、生田斗真さんがくださったはがきが出てきたんです。他のはがきや手紙類とは別にそれだけあった。

──生田斗真さんは、荒戸さんが監督を務めた映画『人間失格』で主演を務めていましたね。荒戸監督が俳優としての生田さんの才能を絶賛されていたと聞いています。

鈴木……はがきの内容は申し上げられませんけれど、私の旦那さんは、本当に次の映画も生田さんと仕事をしようと、最後の最後まで本気でそう思っていたんだな、ということが伝わってきました。あれには、胸を突かれました。生きていればそれが実現できたのにね。あの時、人間ドックに行けば良かったのに。まああの人が正しく振る舞わなかったのだから仕方がないことだけれども、でも残念です。

──法的には夫婦でなくなっても、ただの他人には戻らない。一度結ばれた縁というものは、死ですらも断ち切れないのかもしれません。

鈴木……誰しも家族にしか見せない顔ってあるでしょう。いくら一緒に仕事をしたって、酒場で楽しく飲んだって、死んだ後その人たちがお墓の世話をしてくれるわけじゃない。私は今、死んじゃった人と一緒に生きていくっていうのは、どういうことなのかなって、日々考えながら暮らしています。

──お子さんたちもですか?

鈴木……そうですね。日々、子どもたちと話をしていても、「そういうことはお父さんが好きじゃないからやめなさい」「お父さんだったらそういうふうにしないからやめなさい」という言い方をしますね。で、うちの子たちも「自分たちの父親は立派な作品も作ったけれど、ひどいこともした人。しょうがない人なんだ」と思っている。でも、お父さんのこと大好きなんですよ。それはとってもいいこと。子どもが父親を好きっていうのは、立派な財産です。

──離婚という出来事を通して、人と人とが強く結びつくことの奇跡に胸を打たれる、清らかで美しいラストシーンでした。「この世界は生きている人の物」だけれども、一緒に過ごした記憶は消えずに残り続ける。彼の忘れ形見であるお子さんたちに、この先、親として望むことは何かありますか。

鈴木……人生はどうにかなると思っているので、とくにはありません。あんまりくよくよしないほうがいい。思いがけない幸せが転がり込むことは多いです。私もそうでしたよ。すごく珍しい男の人と出会って、長く暮らしましたから。

(構成/阿部花恵)

 

(「きらら」2018年3月号掲載)

鈴木マキコ(すずき・まきこ)

1963年東京生まれ。上智大学短期大学部英語学科卒業。作家・新解さん友の会会長。97年、「夏石鈴子」のペンネームで『バイブを買いに』を発表。エッセイ集に『新解さんの読み方』『新解さんリターンズ』『虹色ドロップ』、小説に『いらっしゃいませ』『愛情日誌』『夏の力道山』『わたしのしくみ』など。短編集『逆襲、にっぽんの明るい奥さま』(小学館文庫)は、盛岡さわや書店主催の「さわベス2017」文庫編1位に選ばれた。07年映画監督・荒戸源次郎と結婚、14年離婚。